仕事とは?・・・気付きを与える①

それではこれから2つの文章を確認していきたいと思います。




テクニックに関しては、後から解説をしたいと思います。




それでは、一つ目の文章です。










”生きがい“ ということ




        出典:『人生心得帖』松下幸之助より








 人間としてこの世に生を享けた以上、やはり生きがいの感じられる人生を送りたい、というのがお互いだれしもの願いでしょう。これといった生きがいも持たず、ただ何となく毎日を過ごすということでは、決して幸せな人生とはいえないと思います。それでは、その生きがいをどういうところに求めるかということになりますが、これは現実にはいろいろな姿があるでしょう。ある人は趣味とかスポーツが生きがいだというかも知れません。あるいは、自分の生きがいは家庭であるとか、子供の成長だという人もあるでしょう。また、お金を貯めることだとか、おいしいものを食べることを最大の生きがいにする、という人もあると思います。













 ①生きがいというものは、そのように人それぞれにいろいろあると思いますし、またいろいろあっていいと思います。








 ところで私の生きがいは何だったのだろうかと考えてみますと、その時々でいろいろに変わってきているように思います。




 満9歳の年に家の事情で大阪へ奉公に出た私は、数年間いわゆる小僧としての経験を積みました。奉公に出た初めのうちは、故郷の母親恋しさに毎晩枕を涙でぬらすというような姿でしたが、だんだん仕事にも慣れてくると、いずれは自分もせめて番頭さんにはなって、たとえ5、6人でも小僧さんを指導して、何らかの成果を生みだすようになりたいといったことを夢見、朝早くから夜遅くまで、時のたつのも忘れ、汗水たらして働くようになりました。




 当時は、”生きがい”などということはあまり言われてはいないようでしたし、また私自身幼く、特に考えたり、意識したことはありませんでしたが、今にして思えば、そのように多少なりとも心に期するものをもって仕事に打ち込む中に、満足感を味わっていたわけで、それはそれなりに、一つの生きがいを感じていた姿であったといえるでしょう。




その後、電灯会社に勤め、配線工としての仕事にたずさわりましたが、その時はその時で、職工として腕を磨いていい仕事をしたい、そして皆から重んじられるようになりたいということで、一生懸命努力しました。そして、いろいろな難しい工事に取り組み、時には徹夜までもしてやり遂げていくというところに大きな喜びを感じたものでした。






 それから、22歳の時に独立し、ごくささやかながら、電気器具製造の事業を興しました。事業を始めた当初は無我夢中で、その日その日を誠実に精一杯働きました。そうした中で、夏の日に夜遅く仕事を終えてタライにお湯を入れ、行水を使いながら、「われながら、本当に今日はよく働いたな」と自分で自分を褒めたいような充実感を味わったことを今でも覚えています。




 また、会社が大きくなってからは、会社の仕事を通じて人々の文化生活を高め、社会の発展に寄与貢献していくことを使命とし、それを社員の人と共に達成していくところに自分の生きがいを感じつつやってきました。






 ②このように私の生きがいというものは、決して終始一貫して同じだったというわけではなく、その時々でいろいろ変わってきました。しかし、私はそれはそれでよかったのではないかと考えています。




 世の中には、一生を通じて一つのことに打ち込み、そこに生きがいを求め続ける人もいます。宗教家や芸術家といった人たちの多くはそうだといえるでしょう。それは非常に立派な姿だと思います。しかし、全ての人がそうでなければいけないというわけではない。






ある時期にある一つのことに生きがいを見い出し、それがすむと、また新たに次の生きがいを求めるということも、それはそれで意義のあることだと思うのです。




 しかし、ここで一つ考えてみたいのは、仕事というものについてです。③いうまでもなく仕事は、お互いの人生において、時間的にも経済的にもきわめて重要な位置を占めています。そうしてみると、生きがいは多様であってもいいというものの、④自分の仕事に生きがいが感じられるかどうかということは、お互いの人生において、場合によっては、その幸不幸を左右するほどの大きな意味を持っていると考えられます。






 従って、趣味を楽しむことも、家庭を大切にすることも、その他いろいろな面で生活内容を多彩にしていくことも、それぞれに意義深く大切なことだとは思いますが、⑤その中心にというか、その根底に、仕事に打ち込み、仕事に喜びと生きがいを感じられるということがやはりなければならないような気がします。むろん、仕事だけが生きがいであるべきだ、などとは考えませんが、少なくとも仕事も一つの大きな生きがいである、というようになることが、お互いの人生をより充実した幸せなものにしていく上で望ましいことではないかと思うのです。






如何でしょうか?




①生きがいというものは、そのように人それぞれにいろいろあると思いますし、またいろいろあっていいと思います。




この文面ですが、人によって価値観はバラバラですし、どれがいいとか悪いとかは、他人が決めることではないと思うのです。人それぞれにあって、そしてそれでいいのではないかと私も思うのです。






②このように私の生きがいというものは、決して終始一貫して同じだったというわけではなく、その時々でいろいろ変わってきました。






私自身も同じでした、子供の頃に感じていた生きがいややりがい、高校生の時、大学生、社会人1年目・・・・そして現在の生きがいは全く別のものになっています。




如何でしょうか?皆さんにとっての生きがいとはどうですか?「これが幸せだなぁ~」と思えることは、一昔前と変わっているのではないですか?


もちろん小学生の時、と今と比較しても・・・。




③いうまでもなく仕事は、お互いの人生において、時間的にも経済的にもきわめて重要な位置を占めています。






皆さんは一日何時間仕事をされていますか?


8時間という人もいれば、16時間という人もいるのではないでしょうか?


1週間の中で・・・1ヶ月の中で・・・一体どれだけの時間を仕事に費やしているでしょうか?


そのように多大な時間を投下していたり、経済的にも大きな影響を与えている仕事に対して生きがいを持って取り組めているでしょうか?




④自分の仕事に生きがいが感じられるかどうかということは、お互いの人生において、場合によっては、その幸不幸を左右するほどの大きな意味を持っていると考えられます。




投下時間・経済的・・・大きな影響を与えるからこそ、仕事に生きがいを感じられているかどうかによって自分自身の人生において幸福であるか不幸となるか左右することでしょう。


それは、仕事という職場において関係する人々にとっての幸不幸を左右する意味合いを持っています。




職場と言われる環境で皆が「生きがい」というものを大切にして取り組むかどうかによって、そこに属する人々の人生までも左右してしまうのです。















⑤その中心にというか、その根底に、仕事に打ち込み、仕事に喜びと生きがいを感じられるということがやはりなければならないような気がします。




ということです。理想論と思って片付けてしまい、仕事と生きがいをリンクさせないことも簡単です。しかし、それでは、これから先の未来も変わることはありません。


生きがいというものと仕事をリンクさせることがどれだけ出来るか、そして生きがいを持って取り組むかどうかを決めているのは自分自身なのです。






ちょっと長くなりましたし、少し長くなりますので、今回はこれまでとしてノウハウの公開は数回後になりますが、如何でしょうか?




仕事に対して生きがいが感じられるものとなっているでしょうか?


そしてその為に必要なことは一体なんでしょうか?


次回以降で更に違った視点で考えていきたいと思います。


(次回に続く)





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。